「勝ち組と負け組」という価値観の負け組

そういえばリクエストを貰ったはずだったので少し書いてみようと思う。強めに書くのでちょっと気を悪くするかも知れないが・・・。

「勝ち組と負け組」という価値観が嫌いだ

自分は、「勝ち組と負け組」という価値観が嫌いだ。そんな憎むほどではないが、そのようなことをいう人がいると、ムカッときたりする。別に、自分が馬鹿にされたとか、自分が「勝ち組」「負け組」のどちらかであるからとかではない。その人の人生の無責任さに、怒りを感じてしまう。

「勝ち組と負け組」という言葉には、環境がた ま た ままずかったから、負け組み。環境がた ま た ま良かったから、勝ち組というような、無責任さをバリバリと自分は感じてしまう。実際に、自分でモノをなした人でそのような発言を聞いたことは無い。「たまたま〜だったから」なんて言い訳は、自分は言いたくない。勝ち組だって同じだ。自分で何かをやったのではなく、環境がたまたま良かったから、運がたまたま良かったから、そんな言い訳は例え謙遜であったとしても言いたくない。

何よりも、自分の人生に対する無責任さがあると思うから。そのどっちにもなりたくない。自分に対して言い訳をして自分を慰めるような人生なんてまっぴらだ。やったことに関しては、責任を取ろうと思うし、(出来たのに)やらなかったことに関しても責任を取りたい。

だいたい勝ち組負け組みで言ったら、現代の日本に生まれた時点で勝ち組ですけどね。食べ物も水も空気もあって、比較的平和で、何の文句もつけようが無いと思うのですが。違うのでしょうか。