世界観の違い

魅力的な複雑性

どうやら、自分はコンプレックスが好きなようだ。いや、誤解を受けるような言い方をしているのは理解している。正確に言えば、コンプレックスのような複雑で自立的なシステムを解いて理解するのが好きなようだ。ようだといっても、好きなのだが。コンプレックスは魅力なのだ。どうして今まで気がつかなかったのだろうか。

コンプレックスなど、複雑な自立システムは、誤解を受けるような言い方をすると面白いのだ。その理由、その歴史、その動きすべてにおいて、イレギュラーな心理的力学が働く。そして、それを解くことによって、今までの膨大なエネルギーを注ぐ必要が無くなる。そうすると人間は新しい場所にチカラを注ぐことができるようになる。これが、コンプレックスの開放による成長だ。

空になる理系、豊かになる文系

理系はすべての物事を1つの法則にまとめたがる。それに対し、文系はそのことを一つ一つ、それそのものとして受け取る。どちらがよいというわけではないが、理系を突き詰めていくとすべてのものが見えるようになる代わりに、すべてのものが無くなる。文系はすべてのものが存在する代わりに、すべてのものを見ることができなくなる。自分は理系だが。最近は文系の生き方も豊かになっていいなぁと思うようになった。

理解はすべてのものを内包するが、すべてのものが存在しなくなる。これはある意味、自分の情報のインプットの少なさに少なからず因るものではあるが。ネットを見ても、それほど興奮しなくなった。飽きのサイクルがやってきたのか、それとも飽きたのかはわからないが。または、自分が順応したのかもしれない。ネットにあるということが、特別性を失ったのかもしれない。

カオスへの回帰

また、カオスへ向かう時期がやってきたような気がする。地盤を固めた後は、更なるカオスへ向かい、たくさんの示唆とインスピレーションを持って帰ってくる。そしてまた、地盤固め。今回は何を土産に持ってこれるだろうか。