「寂しい」は普遍的心理か?

消極的に人を群にする心理

人間は群れないと弱い。もっと言えば、草食動物は群れる。それは生存戦略としての群れ。群れる事で単体の肉食動物に勝る力を得たり、教育などのロスを少なくする。群れる事は力だ。群れないものは弱い。群れるための本能的な心理は「寂しい」だと思う。寂しい事は表現するにもかかわらず、寂しいの反対語でぴったりくっつくものが無いのが不思議だ。

寂しくない者達

一方で寂しくない者達もいる。肉食獣だ。肉食獣は(生殖を除き)特に、群れる意味は無い。強いからだ。一つのところに集まっては餌が無くなるからだ。肉食獣ベースの思考者がどこかに居たら、そいつらは寂しくないのかなと思ったりする。でも、群れると言うのは進歩のための必要なのだろう。だから、寂しくない思考者は少ないのかもしれない。要するに、群れると言うのは弱いからであって、群れる必要の無いものは孤独でもなんともないはずだ。クマは寂しくないのだよ。ウサギは寂しいのだよ。ヒトは・・・

ソーシャルな「寂しい」

組織は、草食獣だろうか、それとも肉食獣だろうか。生態系のトップにいるだろうか、それとも底辺だろうか。組織は寂しいのだろうか。人間は雑食だ。上でもあり、下でもある。道具を使って世界を手に入れた後でも、寂しさは消えない。これはなんでだろう。それとも、さびしくないのだろうか。ずっと同じことを繰り返す。一人になって、寂しくなって、集まって、煩わしくなって。

寂しさは群内エントロピー

僕は寂しくない。でも、たまに寂しく感じる事がある。それは、みんなが集まっている中に入れないときだ。一人で居るときは寂しくないのに、みんなで居ると寂しくなる。矛盾のようだが、正しいのだろう。寂しさは郡内の拡散性、均一性を求める力として働いているのだから。だから、寂しさはなくならない。格差があり続ける限り。みんなが群れたがり続ける限り。

寂しいの逆「群れる感情の充足」

直接、言えるような言葉が見当たらない。安心かな。ちょっと違う。安住、もっと違う。まぁ、一人だと落ち着かないのだ。群体として設計されているからなのだろうか。わいわいがやがやするのが好きなヒトと、ちょっと落ち着いて数人で話し合うのが好きなヒトがいる。前者は、酒、勢い、カラオケ、そんな感じ。後者は、ゆっくり話し合う事が好き。自分は後者。前者のヒトには少しついていけない。まぁ、好みが違う。お互いに異種類のものに混じると寂しく感じるんだろうなと思う。自分と同じ種類に囲まれると落ち着くんだろうな。寂しいって、異粒種の境界の話なのかもしれない。1つだったら。境界は出来ない。