頂点という限りない山を登る戦略

インターネットが出来てから、情報へのアクセスのコストが格段に減った。見通しがかなり遠くまでつく様になり、欲しい情報を探すのも楽になった。でも、アクセスのコストが減った一方で、理解のコストはそれほど変わっていない。作成のコストは格段に減ったが、創造のコストも変わっていない。そして、致命的なことは実際に経験するコストは変わっていないということ。

このことが何を変えたのか、それはインターネットを見てみればよくわかる。CGM(customer generate media)といわれ、すべての人が創造する。総表現社会の幕開けというような表現をweb2.0関連では良く見る。本当にそんな社会はやってくるのだろうか?

多くのオンラインシステムでは、ユーザの90% は読むだけ。9%は、ほんの少し書き込みをする。目立ったアクションのほとんどは、残る1%のユーザによってもたらされるという。
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ブログを書き始める前は、自分は読むだけの90%の中に居た。理由は、前からそうだったという事と、怖かったのだ。どちらかというと、恐怖心のほうが問題であるように思える。それは経験次第で、おそらく一歩を踏み出せば、恐怖心は薄れると思う。でも、それを克服したからといって、急に価値有るものを創造できるわけではない。

高速道路の先の渋滞
将棋の羽生名人が、以前「インターネットの普及によって、将棋の世界の何がいちばん変わったか」というインタビューに答え、こう答えたという。

「将棋が強くなるための高速道路が一気に敷かれたということだと思います。
でも、その高速道路を走り切ったところで大渋滞が起きています」

現在は、将棋が強くなるための情報というのはネット上にあふれており、その気になれば、誰でもプロ将棋士の入門者ぐらい(アマチュア最強クラス)にはなれるのだとか。以前なら、プロになるまでの道は徒歩で歩いていくしかなかったものが、今ではその入り口までは高速道路がひかれている状態。ところが、そこから次の一歩を踏み出すためにはどうすればいいのか、そこの部分の正解が分からず、大渋滞になっているのだという。

高速道路の出口から抜け出るのは難しい。後ろからも高速道路を駆け抜けてくる連中が皆どんどん追いついてくるから、自然と大渋滞が起きる。最も効率のよい勉強の仕方、しかも同質の勉強の仕方で、皆が高速道路をひた走ってくる。結果として、その一群は、確かに一つ前の世代の並のプロは追い抜いてしまう勢いなのだが、そうやって皆で到達したところ、一定のレベルのところで大渋滞が起きている。

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情報へのアクセスのコストの低下は、能率、効率の良い方法を使い、あっという間に有る程度高いレベルまで到達する事が出来る。しかし、有るところで、それも頭打ちになる。それは、1次的な創造をする人の数が変わっていないからだ。自分でフレームを作るのと、フレームを真似るのでは、同じ道を通っているようで、やっている事は違うのだ。

フレームを作る人

フレームを作れる人は非常に少数だ。フレームはまず達成したい目標があって、それを達成するために試行錯誤を繰り返す。これが、1次的な創造方法だ。しかし、アクセスのコストが減ったために、それをする必要が無くなった。探せば誰かのフレームが存在するからだ。計算をする前から、答えを見てしまうようなもので、計算方法を理解できても、それを一人で構築する事は出来ないし、まして解っているようで何も解っていない。得られる事は、浅い理解のみだ。フレームというのは、背後に捨てられたフレームが100個も1000個も存在する。それを解らずに、単純に正解だけのフレームを与えられてしまっては、試行錯誤する気がなくなってしまう。

また、インターネットの見通しの広さは、また試行錯誤をする事を邪魔する。すぐ上の階段が見えてしまうどころか、100段上、1000段上まで見えてしまう。それ以降自力で上る力は手に入らないけど200段一気に上れる道があったら、そちらを選びたくなるのが人間だ。そして、それを何回も使えば、完全に自力で登ることは不可能になってしまう。doしか出来ない人間の完成だ。また、自分より10000段上の人まで見えてしまうので、あまりの高さにある者は学習意欲を無くす。学習意欲の持続には、有る程度の届く範囲の目標が必要なのだ。

それには、逆に見える領域を自分で制限する必要が有る。または、見えたとしてもそれをあえて無視をするようなインセンティブがあればいい。又は、一度フレームを自力で作ってみればいい。それのどれかを行わなければ、視界の広さがあだとなり、逆に前に進めなくなる。ここが、今までの学習と違うところなのだ。インターネットが有ることで、視界の広さが学習に対して害悪を及ぼすようになる。

そして、求められるようになったのは、「帯域の自己制御」だ。今までの学習では、帯域は広ければ、広いほどいいとされていた。しかし、今求められるのは帯域の閉じ方だ。

スルー力(りょく)

ここで、面白いと思うのが、帯域の広げる力ではなく、狭める力が最近定義されて、使われ始めているという事実だ。

「高林さんがいま盛んにスルー力って言っているんですよ。僕とか高林さんはけっこうスルー力があるんだけど、○○さんはけっこうまじめだから、いろいろスルーできないんですよねぇ。スルーすればいいんだけど」(宮川)

みたいに使う。ということで、使い方はなんとなく想像がついた。

だがせっかくだから、「いやなブログ」の高林哲による定義を見てみよう。

http://0xcc.net/blog/archives/000133.html

スルー力カンファレンス (スルカン) 開催決定!

ものごとをやり過ごしたり見て見なかったことにしたりすることを「スルーする」と呼ぶようになって久しい今日この頃ですが、このたび「スルー力」、すなわち、スルーする力に関する、 ITエンジニアのためのカンファレンスを開催することになりました。ユニークな靴下でおなじみの某社CTOをはじめとする豪華なスピーカ陣による講演が行われる予定です。

「人生の大半の問題はスルー力で解決する」とはスルー力研究の専門家の間では共通のコンセンサスですが、昨今頻発するネット上での炎上事件、人間関係上のストレス問題、あるいは仕事上での燃え尽きの多発などの事情から、スルー力に対する社会的、特にITエンジニアの間での認知度が足りないのではないか、という問題意識が今回のカンファレンス開催の背景にあります。

さすが高林哲、いいセンスをしているなぁと思う。もうこの「スルカン」って開かれたの?


My Life Between Silicon Valley and Japan - スルー力(りょく)の重要性

これは、すなわち帯域の広げるという方向だけでなく、狭めるという方向についても、価値が認知され始めたと言っていいのだと思う。負の感情によって、帯域を制限するのではなく、自分の意思によって制限する事が必要な力になるのだろう。

頂点という限りない山を登る戦略

継続的な成長を目指すための現代の戦略は、メタ視界を持つ事で、視界の広さ自体を制御し、フレームを作る事を学習する事なのだろう。

ラストマン戦略とは、ある所属組織内で自分が一番(最後に立っている人 = ラストマン)になれそうなポイントを見つけて、実際にラストマンになったら対象となる組織自体を大きくしていく、という自分戦略である。

例えば高校生であれば、英語を伸ばそうと思ったら、まず仲間内の何人かの中でのトップを目指す。これが実現できたら、次はクラスでトップを目指す。クラスでトップになったら市町村で、その次は都道府県で、さらにその次は国内で、といった要領で、段階的に広い範囲の中でのトップを目指していく。もし仲間内でもトップになれそうになかったら、今度は「英語」ではなく、「英語の読解」や「英語のヒヤリング」といった形で、対象分野をもっと細かく分解して目標を再設定してみる。

小野和俊のブログ - 持続可能な成長を実現する「ラストマン」という自分戦略: 八百屋になりたい人が肉屋に入ってしまったらどうするか?

学習にランチェスターの法則の弱者戦略を使うということなのだが、なぜそれが必要になったのか、それはアクセスのコストの低下により、地理的な帯域の細さの意味が薄れ、全国どこから、いや世界どこからでも、戦えるようになったからだ。しかし、戦えるから(can)といって、実際勝てるかどうかは別の話であり、世界中の猛者に「井の中のカエル」がかなうはずが無い。井戸が、限りなく広く、実は大海でしたみたいな落ちだ。しかも、ぜんぜん実力も無いうちから。もはや、地理的な帯域制限が使えなくなった今、視界の制御による、戦える相手の選定が必要だ。

カエルは、あえて狭い井戸のなかに閉じこもる必要がある時代になった。