「面白い」と「正しい」から創造力の正体

どこまで、拡張して、どこに向かって何が作れるのか、分からないけど。ここには確かに何かが有ると直感(ゴースト)が告げる。だから、今日もここを掘る。

情報にとっての「面白い」とは

情報にとって面白いとは、生存のための形態のパラメータのひとつ。生物で言うと、長生きするとか、丈夫とか、子供をいっぱい生むとか。要するに、生存率を増やすというパラメータ。だから、できるだけ面白い方が、生きるのには都合がいい。

情報は、いまや動的な環境を2つ手に入れた。ひとつは、人間の思考のなかの環境。もうひとつは、コンピュータによるネットワーク。静的な環境には、印刷物などがある。静的な環境は単純に保存、拡散のみであり、実際の淘汰は他の媒体に比べてものすごい長いスパンがかかる。そのため、昔の恐竜が、現代に復活することもままある。だが、すでにその世代の淘汰が終わった動的環境の情報には、かなうべくも無い。

また、面白いとは、形質遺伝の優位性をも示す。思考環境が、生存するためのルールそのものとなるため、心理的なスイッチを如何に押せるかという話になる。まぁ、これはミームの話となるので省略するが。

情報にとっての「正しい」とは

情報にとっての正しいとは、正攻法の生存方法ではない。正しさとは、異世界への最適化である。異世界とは、すなわち物理的世界、政治的世界、経済的世界などだ。これは、面白さとは別のステータスとなる。

これは、有る分野の正しさを占領してしまえば、かなりの期間(こっちで言えば帝国を築いたというレベル)一族は安泰となる。ただ、正しさのパイは面白さに比べて少ない。そして、その席は排他的であるため、いつも、別の新しくできた部族が攻めてくる。そのため、ものすごい武装と守備を固めた、戦闘的な集団である。ただ、その正しさから移動はできないので、別の場所にいるものにとっては、あまり脅威ではない。

たまに、ものすごい拡張性を持った種族が現れ、広範囲にて以前の種族を駆逐する。例えば、科学的思考というものも、大いに正しさを占領し、ものすごく栄えている種族だ。以前、繁栄していた恐竜:宗教的思考は、以前の繁栄に比べると見るまでも無く、表舞台から消し去られた。

進化の方向

進化が進み、どのような種族が栄えてきたかを見ると、これから先の生まれるであろう種族が予想できる。まず、もう以前のような軍艦主義は終わった。現在はより高速(理解しやすい)に、より小さく(体が小さい)という傾向がある。そして、以前の大規模支配と比べると、現在は上位生態系そのもので支配しているのだ。

まぁ、分かりやすく言うと単細胞から、多細胞生物に移ったということだ。以前の細胞軍艦主義から、小さな細胞で役割分担して、共同生活を始めたのだ。今では、電脳ネットワークによる、生態圏の拡張がなされ、まるで新しい大陸を発見したかのように、植民地政策をしている。まぁ、そのうち帯域の差が増えて、独立されるのは目に見えているのだが。まぁ、まだまだそのような時期ではない。

思考は人間を操る

情報は思考に乗り人間を操ることができる。論理矛盾を受け入れる思考、特定の行動を推奨する思考、色々有るが、自分の中で情報を監視する情報郡が存在し、それが数ある中の思考を物理的外部インターフェイスに通すかどうかを審査している。その監視する情報郡は、道徳や信念、超自我などど言われる。「私」とは、「私」という物理的ハードウェアの中に共生する思考の生態圏のことである。監視する情報郡は、権限を伴って、思考を管理できる。

思考生態圏は、自己の生態圏にとって、敵となる情報が現れると、それを免疫によって駆逐する。また、その免疫防衛システムも生態圏の固有文化によって異なる。1つの憲法があって、それに従わない思考は即死刑とか、最低限のゆるいルールが支配していて、色々な文化を内包する文化がある。また、その生態圏の外にも、はるか遠くの宇宙的な文化(普通の意味の文化)、ルールが存在して、そこにも影響を受ける。

創造力の正体

ここまでくれば、ようやく創造性とやらの正体が見えてくる。創造力とは、思考郡が整理されており、かつ多様性を持った生態圏であって、新しい思考を作り出すインセンティブが強いという生態圏の一面のことである。カンブリア期の生物群のように、多種多様な思考を生み出し、それを生態圏の外に貿易でアウトプットする。そうすることで、他の生態圏からのフィードバックを受け、さらに生態郡が磨かれていく。

なぜ、現実の多種の生き物が絶滅させてはいけないのだろうか?彼らは生存競争を負けただけではないか?それは、環境の大規模な変化の際についていけず、生態圏ごと滅亡する可能性が増えるからだ。だから、どんな思考だったとしても、細々と生きていけるぐらいの多様性が欲しい。信念や思考に凝り固まった人は、それを覆す情報に進入されると、あっけなく落ちてしまう。そのため、彼らの生態圏は外皮を固くし、より他の生態圏に対して牙をむくことで生存を図ろうとする。

多様性のある生態圏は、外敵からの免疫性をもち、さらにその敵すらを内包し成長してしまう。他の生態圏との帯域を開き、自己の優位性を惜しげなく与えられる生態圏だ。そのような戦略は、やがて上位の生態圏同士の生存競争に優位な立場を取れるようになる。彼らは、内部の思考において優れているが、それだけではなく上位の生態圏同士の関係性においても優れている。彼らの優位性は、インターネットとクローズネットワークの優位性の話と非常に酷似している。まぁ、同じ話なのだから当たり前だが。

どちらが今の時代に向いているかは、言うまでも無い。

私は、多種多様な思考郡を内包した生態圏になりたいと、そう私の思考生態圏は望む。だから、自己生産情報を交通の整理された異大陸に運び、多くの国に公開することで、フィードバックを貰い、成長する。そういうわけで、このブログは情報見本市みたいなものだ。そして、見られフィードバックを受けることで生態圏ごと成長する。だから、私の思考郡は「開発工房」なんて名前をここに付けたのかもしれない。