理解力と思考のパーティション
頭がいいとは?
頭がいいとは何だろうか?思考速度が速いことだろうか?記憶力がすごいことだろうか?理解力がすごいことだろうか?それとも総合力だろうか?さらに、物事をうまくこなす力だろうか?
頭がいいということを、とりあえず物事の解決能力としておこう。頭のいい人ほど、問題を解決することができる能力だ。
頭がいい人と、頭が悪い人どこが違うのだろうか?それを思考のレイヤーから考えてみる。
頭がいい人の頭の中はネットワーク型、悪い人はオブジェクト型
頭のいい人の頭の中はネットワーク型を取っている。一方、悪い人はオブジェクト型をとっている。
赤ん坊のころを想像してみるといい。小さいころは、全ての認識、感覚というものが収束せずに発散している。つまり、全ての感覚、出来事、認識が「アレはアレ。これはこれ」なのだ。やがて、数を経験することで、帰納的に収束しやがて、感覚、認識から帯域の切れ目を見てそこがひとつの物事と認識することができる。やがて、言語を覚えればさらにその切り取ったものに名前をつけて、メタ認識をするようになる。つまり、その感覚、認識そのものではなく、ラベルとして管理されるようになる。
名前をつけるとは認識の収束であり、世界を切り出す刀であり、記憶システムを重複無く使う圧縮システムのラベルだ。現在のコンピュータも同じような動作をしており、名前と実体は別のものとなっており、名前でファイルを管理している。名前、つまり認識の収束は必要なことであり、同一で有ることを学習するのは、学習の第一歩であり、認識の更新となっている。
そして、もちろん名前こそが認識の殻であり、中身のゴーストはクオリア(脳の中で感じるそのもの)である。理解という能力は、その同一だと思われるクオリア:ゴーストを集めて名前という殻でくるむ力だ。
学ぶとは:赤ちゃんからのファイルシステムの歴史
まず、最初にベタを学習する。つまり、基本的な欲求であり、外の世界のレスポンスだ。欲求によって、感情が生まれる。つまり、外部フィードバックによる、快不快の識別の関連付けである。ここでまず脳は、言語前の脳内ファイルシステムを構築する。おそらく、それはクオリアを直接配列したファイルシステムだと思われる。これを第一世代の脳内ファイルシステムとしよう。
その後、言語にクオリアが関連付けられ、名前という殻でくるみ、また名前だけでクオリアを呼び出すことができるようになる。これを第二世代脳内ファイルシステムと呼ぼう。こうなると第一世代のファイルは形式が違うので呼び出すことができなくなる。これが3〜4才以前の様子を思い出せなくなる原因であると考えられる。
また、第二世代からネイティブ言語のレイヤーで建てていることになる。つまり、日本語圏で生きるのと英語圏で生きるのは、別の世界を生きることになる。だから、母国語の影響は大きく、つまりファイルシステムのフォーマットであるといえる。
さらにベタ感情、欲求、人、モノの言語化が進み、概念を覚えるようになる。つまりメタ言語であり、言語のコアをひとつにまとめてメタコアを作る事ができるようになる。これが小学3〜4年生だろうか。これを第三世代と呼ぶ。
思春期以降:更なるメタへ
これ以降、さらにメタの第四、第五と進むが、人によってうまく統合できなくなってくる。それが理解できないという状態だ。複数の入力を、同じものと判断しメタのコアとすることができなくなるのだ。それの原因は複数有るが、主に言語の語彙不足だったり、経験不足だったりする。そして、それはコミュニケーション不足が原因だったり、読書不足だったりする。読書は言語を解して、発展したコアを取り入れることができるので、思考圏を発展させるのに役立つ。
また、このころ第二次成長、つまり体が次世代の子孫を作ることができるようになったころに、自意識というものが生まれる。これも人によってさまざまで、小学生高学年〜中学生くらいだろうか。また、このころに感情が高度化し、フィードバックがうまくいかないことがコンプレックスとして現れてくる。コンプレックスは思考圏に感情の大きなコアを作り、思考圏の発達を邪魔するようになる。
思考は、コンプレックスがあれば有るほど、ブラックボックスとして処理され、感情は突然表れるものとして戸惑うことになる。まぁ、コンプレックスは誰でも持つものではありますが。
さて、そのころうまくいけば高度化した欲求が、自意識を持ったために他人というものが観測されるようになる。そして、承認欲求が生まれ、色々な欲求がコアとなり、恋として(おそらくコンプレックスと同じものだけど、悪いくないからそう言われない)発現したりする。
まぁ、恋がコンプレックスと違うのは方向性においてだ。恋は生殖の方向つまり、生きる方向に向かっているのに対して、コンプレックスは迷走である。迷走とはつまり、進みたい方向ではない方向に進んでしまうということだ。
メタの限界:パーティションの出現
そして、高校から大学になったころ、複数の思考圏が出来ている。これも人によって違うのでなんともですが。つまり、高度化し続けた結果、融合できなくなった認識郡がシェル:帯域の断絶面を作り、その間を思考が移動できなくなってしまう。
これはおそらく男性に顕著に見られるのだろう。男性はひたすら理論によってフォルダ分けをするから。理論ごとにフォルダが違うため、合成が出来なくなる。具体的には、教科ごと、人間関係、物語世界ごとに違うルール違う考えで動くということだ。これはおそらく、学校という学習システムのひずみだろう。1から自分で考えていくならば、その様な区切りは出来ないはずなのだ。昔の哲学者が、医者と科学者と政治家を兼ねていたように、全てが全て出来るようになるはずだ。
しかし、学問が高度化したことによって、0から理解することあきらめ、理解をしないうちに頭に特殊条件を詰め込んだために区切りが出来てしまうのだ。そのため、そこの思考圏はベタの思考圏と互換性を持たなくなる。それは、動くルールが違うためだ。それでも頭の良い人は類推によって、その壁を越えたりすることが出来る。
勘がいいとかセンスが有るとかは、メタ思考圏の類推の蓄積が、意識外で働くことで起きる。つまり勘とかセンスは、他の思考圏を跨って通信ができた経験の蓄積なのだ。頭がいいというのは、おそらくこの類推能力と思考圏の発展をさす。
勘と創造力の可視化:思考圏のフォーマットと標準通信プロトコル
こんな訳で、人によって頭のよさが違う。
しかし何事にも学習が可能で、同じことを何回も経験すれば、やがてそこにコアが作れるはずだ。つまり、思考圏ごとの共通ルールを取り出して、共通のフォーマットで管理、さらに共通のプロトコル(規格)で通信すれば、思考圏全体の発展を妨げる区切りを無効化できることになる。
この、別の区切りに対するフォーマット&プロトコルが、私が考えたコア論(仮)だ。まぁ、すでに誰かが考えていそうでしょうがないが。
そういえば、ちょうど同じような経験からの帰納的アプローチを見つけた。
ロシアの特許調査官、アルトシュラーは、過去に申請された多数の特許を調べていくうちに、たとえ分野が違っても、発明には共通するやりかたがあることに気がついた。
すぐれた発明であっても、その問題解決のやり方は別の分野ではすでに常識であったり、どこかの分野で何か問題が発生したとき、解決策を発想するのに、他の分野のやりかたが参考になったり。
http://medt00lz.s59.xrea.com/blog/archives/2007/03/post_468.html多数の優れた特許を内容的に分析して、問題解決のパターンを明確にすれば、 自ら問題を創造的に解決する力を身につけることができる
ロシア人はスターリン時代からこんなことを考えて、「創造的問題解決手法:TRIZ」という技法にまとめた。
同じ創造的アプローチというのが、なるほどと思わせるところだ。この思考法は、ベタで生きるだけだったら、無用の長物なのだ。生きるためには原子間の法則や、宇宙の星間の法則を考えない方が、効率がいいのだろう。しかし、見渡せるレイヤーが狭ければ壁に当たるのも早いだろうが。
コアVer2.15:統一フォーマット&プロトコルの要素
今の所、考えられる要素を書き出してみる。
レイヤー:クオーク、原子、分子、高分子、たんぱく質、細胞、多細胞、生物、ニューロン、言語、思考、感情、人間、組織、国、経済、惑星、生態圏、星、銀河、宇宙などの思考の基本単位支配する層のこと。例えば、思考層だと思考を基本単位とする層のことつまり精神。原子圏だと、原子を基本単位とするスケールの層。それぞれ違う法則が働く様に一見して見える。
次元数:レイヤーの要素。次元の違いによって、コアの表面積と質量比が変わり、そのことによってネットワーク型のレイヤーになるか、オブジェクト型のレイヤーになるかを決める。(参考)コアVer2.0α
コア:基本単位のこと。(参考)思考を思考する -自己成長する思考Core Ver0.84
シェル:コアの要素。表面。広さが大切。殻。帯域の断絶面。(参考)殻を失うということ Core Ver2.10
ゴースト:コアの要素。中身。本質だったり、質量だったり。
力:基本単位が相互作用する時に使うもの。関係性。
帯域:力の要素。単位時間当たりの力の大きさ。
射程:力の要素。効果する範囲。
単位時間:1ステップ進むのにかかる時間的距離
今のところ、こんな感じ。基本的な要素は足りてきたような気がする。後はもう少しつめるだけかな。
ということで、この理論は、メタ脳内ファイルシステムなのです。ものすごい理解効率と創造効率が上がります。
気になる方はインストールでもどうぞ。思考圏のインターネットを発明したみたいなものですね。
あと、書きながら「自分という認識を思考レベルに落としたら」とか悟りそうになったけど、今はそんな気分じゃないからやめておく。あとで。