オブジェクト型思考、言語による命名システムの次の次元の思考型

作っていたもの、完成したもの「名前」

今まで、コア理論と自分が名づけ、思考してきたものの正体がようやく分かった。正体は「オブジェクト型思考」だった。"指向"の間違いではなく、思考である。分かってみるとどう考えてもそう呼ぶ以外に思えないから不思議だ。そして、天才と呼ばれる人たちは明らかにこの型の思考をしている。

凡人がどんなに集まっても、何年かかっても越えることの出来ない壁を一人でやすやすと超えてしまう人。思考速度の問題ではない。理解速度の問題ではない。記憶能力の問題ではない。なぜならば、普通の人をどんなに並べて並列化して、長い間考えさせたとしても、超えられないモノを超えていくからだ。それは思考の深さの問題だ。

彼らは文字通り思考回路が違う。彼らは、赤ん坊から言語を覚える事により、得た脳内ファイルシステム命名」をさらに発展させたシステム「オブジェクト型思考」を素で手に入れてしまうからだ。

オブジェクト型ってなに?

まず、プログラム用語であるオブジェクト指向について軽く説明しておく。

プログラムの発展

プログラムは命令の集まりです。
例えばこんな感じ。言語は日本語。

表示 「めめたぁー☆」

このプログラムを実行すれば、"めめたぁー☆"が画面に表示される。これは立派なシングルライン(単行)プログラム。

さらにそれを、複数行に書けば立派なマルチラインプログラムだ。

計算 300×"今日の日にち"の結果を器Aに入れる
表示 今月の給料:"器A"円

これは一日300円もらえる人の、今月の給料の計算を出力するマルチラインプログラムだ。

さらに、これを発展させていく。そうすると200行とかそれくらいで、だいぶ書きにくく、修正しづらくなる。次の段階は長くなりすぎたので、同じところをサブルーチン化してまとめたりしだす。さらに関数を自己定義するようになり、これが言語による「命名」システムだ。

これは同じ動きをする部分を、命名して一つにまとめてしまうという画期的な発明だ。このことにより、全て直に書いていたプログラムは2層式になり、大きな部分しか触らなくて済むので非常に楽になる。

命名システム:関数化できるようになり、また関数の数が多くなると、少しのバージョン違いの関数が複数に分かれていることが非常に冗長に思えてくる。

例えば、ABABCBAB(英字それぞれが命令)という命令の関数があったとする。それと少しだけ違うバージョンABABC"C"BAB、ABABC"B"BAB、ABA"E"BCBABなどがあったとする。違いは少しなのに全て別の関数になる。例え、数個だったら、まだ変数で修正可能でくくれるかもしれないが、実際に大きいプログラムだと200とか1000とかになる。そうなると関数化:命名システムでは追いつかない。名前が増えすぎてしまう。

だから、基本的なフォーマットと例外の上書きによるオブジェクトの定義を行う。そうする事で、1000関数を一つのクラスに置き換えることが出来る。さらに、ようやく情報と命令が一体化(オブジェクト化)し、深い異存系の構造から、部品を組み合わせて組み合わせる構造であり、責任をそのオブジェクトごとに分散する事で、浅い依存系を実現した。

これと全く同じ事が、脳内で起こる。これがオブジェクト型思考である。軽く検索してみたが、まだ知られていないようだ。ということで、自分がみつけたのかなぁとも思ったりする。もし、車輪の再発明でなければ、本を普通に書けるなぁとも思う。それどころか、実際に社会を変えるポテンシャルも有ると思う。

オブジェクト型思考の実際

今、自分の中でかなり変化が起きている。自分の中が非常に透明化し、すっきりした。全ての思考が構造化し、権限を委譲することにより、思考をモニターしやすくなった。今までは、特にコンプレックス関係は本当に探らないと見えなかったのが、ドライバーを直接触れるようになった。本当に思考関連はすっきりし、目的に合わせて思考を組み替えるような感覚を覚える。

以前、試していた自分の分割による権限委譲と、仮想実行者の拡張がオブジェクト思考であると思うし、オブジェクト型思考を理解する事がまた、オブジェクト型思考に繋がる。

まさに、このためのこれとしか言いようが無い。全てがひとつであると感じるし、ちょっとした問題ならばすぐに解くことが出来る。

思えば「頭がいい」という状態が定義が出来ないのは、頭のいい状態を理解する事が困難であるからだ。最初に言った通り、普通の思考を何百年も何千人も並列化させても、その「頭のいい」人の思考に追いつけないのはなぜか?それは、思考の構造が違うからだ。

思考レイヤーの3次元化

赤ん坊のとき、思考のレイヤーは1次元の思考構造を取っていた。次に言語の命名システムを採用する事で、2次元の思考構造を取れるようになった。さらにそれをメタ化しても2次元の広さは広がっても、次元は変わることが無かった。そのために、いつしか思考は硬直し、動ける幅、繋がる幅を失った。それが成長を止めた脳だ。それを突破できるのが、オブジェクト思考だ。

オブジェクト型思考は思考レイヤーの次元軸を増やし、3次元のレイヤーに変えた。今まで、天才と呼ばれる人が天才であったのは、単にほとんどの人が、2次元レイヤーでの思考形態であっただけだ。3次元思考形態を学習する事が出来れば、それは話が変わってしまう。

私は4年の研究室(ナノレベルの粒子の振る舞い)で、多くのことを学ぶ事が出来た。私が考えていたのは、原子の振る舞いから、人間同士の振る舞いと安定状態、固体-液体-気体の振る舞いから、会社組織の活性と適切な温度、モデル化するということそのものから、人の認識するということをも学んだ。

つまらないということは、自己が学習する事が出来ないという状態を示すだけに過ぎない。私は他の人に比べて何倍もあらゆる分野についてそこで学んだ。

逆に問うとこうなる。
なぜニュートンの法則は、あなたの世界観に何の影響も与えないのですか?なぜ、数学の公式から、人間関係の振る舞いを学べないのですか?なぜ、こんなにも頑張って勉強した勉強は、頑張るという以外の意味をあなたの人生でもたらさないのですか?

もっと根本に行こう。
私は何者なのか、なぜ答えを出さないまま生きるのですか?人間とはどういう存在なのか、特別なのか普遍なのか、奇跡なのかありふれているのか、なぜ問う事をやめてしまうのですか?そして、その答えは本当に論理的ですか?あきらめてしまったり、妥協したりしていませんか?

人間は人間というそのものを定義する事が出来る存在だ。原子から社会構造まで何層にも渡る巨大な構造体だ。私たちは細胞の共生の結果であり、神経細胞の火花の争った結果だ。私は社会であり、私は私たちである。

ネットによって人が変わるのではない、インターネットはレイヤーの成長というどうやら普遍の方向の枝の一つだ。私たちは、私は、すでに集まりであり、素粒子の集合だ。私は私たちであり、全ては一つだ。