人間関係のサイクル(2)

久しぶりに恋愛の事を考えてみたり。人間が人間を好きになるとかその戦略とか。

ソーシャルハッカー

人に好かれるのが、上手な人がいる。それは恋愛でという限定条件ではなく、あらゆる状況で人に好かれるという意味だ。スキル的には、営業向き。表面系でファッションとか流行とかを普通に追える。

物語の回路図

上の図ではマーケッターだ。一番需要の多い人たち。

しかしながら、人を好きになるとか、嫌いになるとかってなんだろうか。それをやすやすと操るソーシャルハッカーについて考察してみる。

最強の工程ソーシャルハッカー

基本的に需要と供給の関係で一番強いのが、マーケッター=ソーシャルハッカー。お金も人も需要と供給で決まるから、一番需要が大きいこの工程に一番集まる。なんともおいしい工程だ。基本的に工程は動かせないから、たぶんずっとそのまま。

クラッシャーさんとか、終末者さんもずっとそのままって言うのなら、それはかなり救いの無い話なのだけれど。作る人がいる以上、壊す人もいるのですよ。死が無い世界に成長がないように、破壊の無い世界に構築は無いのです。

ま、ちょっと話がずれたけど、ソーシャルハッカーについての考察。基本的には構築者と消費者の間にいて、構築物を消費者に渡す仕事。そのためには、人に好かれる必要があるし、まぁ生来の工程特有のスキルがあるから、好かれる。

クリエイターが内部の構築者ならば、ソーシャルハッカーは外部の構築者。構築するというベクトルは変わっていないけど対象が違う。同様に終末者は内部の破壊をクラッシャーは外部の破壊を担当する。たぶん、構築者と破壊者はお互いが嫌い。使う技術は同じなのに、向かう方向が違う。構築者がどんなに破壊者を説得しようとしても、基本的には無駄。

人間の基本が構築、破壊どちらなのかと聞かれたら、おそらく両方。生きるのも死ぬのも全て含むのが人間。ただ、カウンセラーとかで向かう方向性を変えたりは出来るような気がする。なるほど、心のベクトルが構築に向くか、破壊に向くかはある程度動くな。例えば、自分でもかなり調子が悪いときは終末者に反転する気がする。使う力は同じだけど、向かう方向が違うだけだから。心の方向が逆になれば、力を逆に使うようになる。

ただ、その力、内部構築(破壊)か、外部構築(破壊)かは、基本的に変わらないようだ。というわけで、クラッシャーはマーケッターに反転する事が出来るし、終末者はクリエイターに反転する事が出来るはずだ。これでだいぶ救いようがある。なるほど、同族嫌悪というのは、同じ力をもつ逆の性質のものを嫌うという事なのだろう。自分もかなり安定したクリエイターではあるけれど、相当に痛めつけられると終末者にもなる。このベクトルの反転は仕方ないもので、誰にだって経験はあると思う。

構築者になるか、破壊者になるかは、家庭環境がかなり大きく影響する。ようするに親が構築者なら、おそらく子供も構築者になるし、親が破壊者なら子も破壊者になる事が多いのだろう。そういう意味で、ちょっとばかりの教育では誤魔化しようが無いレベルで親の影響は大きい。思春期は、構築と破壊の方向が安定しにくい。思春期を越えるとある程度の自分のベクトルが確立される。思春期を越えた後では、殆どそのベクトルは変えにくくなる。ただ、痛めつけられれば勿論変わる。そのベクトルの安定特性自体も人によってそれぞれだろう。

簡単にぐらぐらする人もいれば、石のように動かない人もいる。自分はお蔭様で構築者という位置は殆どぶれない。

すっかりソーシャルハッカーという話題からずれてしまったが。さてどうしようか。続くとしておくか。