オブジェクト思考::リングクラス

連続エントリーの途中だけど、なんか迷路みたいに入り込んだから、こっちを先に書いてみる。

オブジェクト思考のアップデート。コアクラスとは別のクラス、リングクラスの追加。

伝わっている人がすごく少ないような気がするから、簡単に書いてみる。伝わらなければ、どんなすごいものを作っても閉じてしまうから。

空間的理解ではなく時間的理解に特化したクラス

新しく追加されたクラス(視点みたいなもの)は、空間的な解釈ではなく、時間的解釈。どうも空間と時間で解釈が矛盾してしまうから、今のところその二つを合理的に融合できない。

そのうちまた別の新しい解釈ができるようになったら、たぶん2つの考えが1つになるんだろうけれど。今のところまだそこまでは見ることができない。

まぁ、前書きはこれくらいにして「リング(環)」の説明にはいりましょうか。

時間的フィードバック回路=リング

人間は、時間の経過を物語として解釈する。というよりも、そのようにしか因果関係を連続してみることができないようだ。だから、物語記憶を再生できなくなれば、記憶喪失になる。つまり、自分が自分と認識できなくなる。

それは自分という連続した物語を忘れてしまうからだ。自分という認識は、連綿とした過去から続く物語だ。それは現在からの視点で過去を再解釈して構築される。それはあたかも、因果関係が原因から結果が作られるのではなく、結果から原因が解釈されるように作られていると解釈できる。

つまり、解釈は過去に向かい、現在をフィードバックして現在に至るというように、環になっている。物語は直線ではない。物語は結果があってから原因が再解釈される。そして環になってそれらひとつで、ひとつの物語として認識される。

フィードバック回路

制御の分野では、結果を評価してそれで原因にフィードバックさせるというフィードバック回路が存在する。これは回路図は環になるし、先ほどの物語とまったく同じものだ。世界は物語でできている。もちろん小さな環が集まって大きな環になる。そうすることで人間は自分という認識集合を制御する。

物語は、人間の制御フィードバックのための発明だ。そうすることで人間は、単純な反応(反射のような熱いから手を引っ込めるというような反応)だけではなく、反応を組み合わせて別の制御をできるようになった。

おそらくサルとかでも有る程度、この環の構造を脳内に持っているのだろう。それは自我というものと密接に関わる。鏡をみて、それが自分かどうかを認識するのとおそらく同じ位に発生する脳内機構なのだろう。

といっても、自分はあまり脳内に詳しくないのも確かだし、正直、知らないことが多いからこの考えが正しいのかどうかわからない。ただ、使うのが便利な考えだというだけだ。

時間の流れの切断

なぜ、時系列を環として認識しなければならなかったのだろうか。

それは空間のリンクと違って、基本的に区切りが無いために、逆に自分で区切る必要があったためと思われる。区切って認識することで、ひとつの単位にして組み合わせをすることができる。

頭の中で認識できなかったら、それらは使うことができない。だから、人間は物語を発明した。アインシュタインの言葉で、「世界は原子でできているわけではない、世界は物語でできている」という言葉があるが、まさにそのとおりだと思う。世界は物語で構成されている。

空間と時間の統合の難しさ

時間認識と空間認識の統合の難しさは、特殊相対性理論のときの統合を思わせる。プログラムでも、見た目をきれいに作るのとプログラムを多様性を持たせて構成するのは、矛盾しあう。お互いがお互いに干渉するために、結局その妥協点を見つけるか、その上のレイヤーで問題を解決するかのどちらしかない。

そういう意味で、2つはそのうちひとつの統合クラス(視点)になるのだと思う。まだ材料か、視点が足りないためにできないけれど。自分は時間経過の認識が苦手だ。だから、最初に思いついたのはコアクラスだったし、使うのが楽なのはコアクラスだ。でも、今回リングクラスを思いついたことで、そちらも有る程度使えるようになるのだと思う。まぁ、新しいことを思いついたらここに書いていくつもりだけど。

最近書いている、質問者、クリエイター、プロデューサー、マーケッターと続く流れもリングになっている。フォーマットをさらに拡張していかないと詳しくはわからないけれど、理解できればまた世界が違うように見えるはずだ。

それが楽しみだ。