会話と学習のラグランジェポイント

思考をドリブンする言語体系

会話に使うコストは、その背後の言語体系のバックグラウンドが近ければ近いほど少なくなる。専門的な話でも、その言語のバックグラウンドが近ければ類推で何の話だかわかる。逆にまったくバックグラウンドが違えば、簡単な話でも通じない。

この単語の定義がどうの、こっちはこんな風に使うのが当たり前だの、常識だのとかを取り出してくると話しにならない。話したいことの5%も話せずに説明になってしまうが、説明なんて面白くないから結局話し自体うまくいかない。この状態を解消するためには、言語体系の共通な部分で会話していくしかない。しかし、実際にやってみるとわかるが同じ日本語かと思えぬぐらいの通じなさだ。

学習のための言語体系と環境設定のコスト

同様にして、ある新しい範囲の分野の学習の際に最初にひっかかるのは、その分野の語彙不足である。語彙不足からくる読解コストの上昇と理解不足によって、それをあきらめたり、つまらないものと判断したりする。逆に言えば、語彙不足の解消を行うことが出来れば、学習速度は格段に上昇する。

また、初期設定のコストというものもある。例えばプログラムを始めたいと思うときに必要なものは、それのエディターとTipsと実行環境である。それらをそろえて、設定するためのコストは1度したことのある人の10倍くらいかかったりする。下手すれば、1つの設定がわからないためにあきらめたりする。知っている人が見れば2分で解決できるような簡単なことであったとしてもだ。

既に既知である人が近くにいるということ

既に知っている人がいて、その人に質問を投げられるというのは、ものすごく価値のあることだ。まず、モチベーションが10倍くらいになるし、簡単な説明や操作を見るだけでもものすごい経験になる。学校というものは本来そういうようなものであるはずだが、あまり機能をしていないように見える。

ソーシャル学習サービス

今までの学習方というものは、パッケージ化された学習環境(学校)か、マニュアル化された学習方法(本)というスタイルだった。これからは、もっとソーシャルでスマートな解決法が出ると思われる。例えば、ブログで学習結果とか内容を書いて、その道の人にトラックバックしまくるとか。そんなコミュニティを探してそこに質問を投稿するとか。

そんなことを言わなくても、無いんだったら作ればいいよねということで、ちょっと検討。