心の制御のための帯域加工

予測のための仮定が多いので、どうなのだか微妙だけど面白ければいいや。

心の加工というアプローチ

前のエントリーの零葉さんのコメントより

個人的には、衝撃を与えて自分を点にすることはできても、別の衝撃を与えると、どうしても前の衝撃は消えてしまう、同時に複数というのを、手軽にできないかと時々思います。
勿体無いんですよね、消えちゃうのが。
まあその保存方法が多重人格なのか、とも思いますが使いづらいですしね。
何かもっとこう、手軽で精度の高い保存方法が出来れば革命的だなあ、とも思うのですが。

かなり面白い視点だと思った。

衝撃を与えられた後の変化の状態、つまり高揚とか集中とか覚悟とかを全て保存できる器というものが今のところ無くて、あるとしたらトラウマに近い記述で心を傷つけるくらいで。消えない状態というのは、不可逆なほどの破壊という事と同意だ。

物を加工するというのは、不可逆な破壊を制御する事で目的のものを作るということなのだ。心もまた同じで、教育とか決意とかトラウマとかで加工される。それが荒削りなのか、滑らかな仕上げになるのか、鏡面加工するのかは分からないけど。

良く物語で「トラウマに近い心の傷を負うことでその後の行動が変化する」というものがある。作者から見ると、心をイベントによって「加工」することで「動機」などを作り出すことが出来るという便利な仕組みだ。そして、多重人格症は、その「トラウマ」を複数保持できるという利点がある。心の傷であるのならば、その尖がりは他のものと融合する事で弱くなる事は良く分かる。100度のお湯を10度の水に入れると40度くらいになるよねという話。

必要なトラウマ保持機構

現実は、毎日は、日常はあらゆる衝撃を緩衝し、あらゆる決意、感動を洗い流してくれる。それは、人間が壊れないで生きるための「忘却」システムだ。忘却は必要ではあるが、故意に忘却をせずにいられればそれは武器になる。

決意や悔しさや悲しみや痛みを、ずっと保持する事が出来るのならばそれは動くための原動力となりうる。だから思うのだ。多重人格は、「日常」を過ごさずに「傷」を保持するための魔法瓶なのではないかと。

多重人格ほどではないが、人間にはその状態を保存するための方法がいくつかある。それは「場所」だったり「モード」だったり「ペルソナ」だったりする。スーツという服装によって、意識を変化させたりというのは、誰でも経験する事だろう。人間は「傷」を保持するために外部のモジュールによって、状態を保存するという方法を使っている。

自分だと、例えば特定の「音楽」を鍵にしたり、「言葉」を鍵にしたり。ただ、不完全であり不安定だ。これをもっと安定するような形で帯域状態を保持できるようにしたい。その状態は、内部暗示による自己の書き換えで行う必要があるのだろう。

内部状態の書き換え

苫米地本にある話なので、以下略。

自分が必要だと思うのは、帯域の広げ方ではなく閉じ方。意識は拡散してしまう。焦点はぼやけ、何をしていたのかを忘れてしまう。そのための帯域の削り方。適切な削り方を刷れば、効率よく集中する事が出来る。ネットを繋がなければ、作業ははかどる。ネットを繋いでブラウザを開けば時間ばかり無くなる。時間は有限だ。適切な帯域の削り方を習得する必要がある。