気づきは最強の力

昨日書ききれなかったのでリベンジ、いや復讐してもしょうがないか。リトライです。

言語的思考を介さずにプログラムを行う

さて、突然ですが自分はプログラムの仕事をしています。プログラムを書くわけです。
そのプログラムのことについて、まぁ現在デスマーチ見たいな事をしているわけです。納期までの期間がたりない。圧倒的な足りなさ。どれくらい足りないのかというと、一日14時間プログラムを書き続けて、はや二週間になりますが、それでも全然間に合わない。絶望的なわけです。まー自分の能力が足りないというべきか、物量が圧倒的過ぎるというべきか、自分の予定立てるのが適当すぎるというべきか。いや全部なわけです。

そして、時間が足りないわけです。ポジティブに考えようがネガティブに考えようが、足りないのは時間です。プログラム能力は、そんな急に2倍3倍と増えるものでももちろん無いですし、劇的な解決策なんて無いわけです。だって、足りないのは物量だから。物量を仕組みで解決できるというものはもちろんありますが、すでに「フレームワーク」や「ライブラリ」といった外部的な骨組みを使っても、なお全然足りなかったんですよ。

気づき

さて話は変わりますがJojoの5部にこのようなせりふが出てきます。

「あとよォ・・・『ブッ殺す』なんて言わないんだぜ、俺達の世界じゃ・・・・・
 なぜなら『ブッ殺す』って思った時にはすでに行動は終っているからだッ!!
 『ブッ殺した』なら使っていいッ!! 
 いいか、こうやるんだッッ!! 」

  ダン! ダン! ダン! 

「よしッ! 『ブッ殺した!! 』」

考えているときにすでに行動は終わっている。終わらせることができるという前提で、行動を組み立てる。それも、気がついてないだけで自分はその能力を持っているはずだ。気がついてないだけで、もうそれは完成している。だってそれを作ろうと思ったんだから。できた。

一見、なんだか大丈夫か?というような思考に見えますが、それが狙いなので問題ないのです。思考には「盲点(スコトーマ)」というものがあります。それは、前提条件と、同じ反復行動の繰り返しで、おかしいことにもおかしいと気がつけないという思考の穴です。この盲点ができてしまうと、自分で自分を自己洗脳しているような状態になります。新入社員の時には、おかしいと思えたことでも、2年3年とするとおかしさが見えなくなります。この業界だから、この会社だから、俺が〜だから、あいつが〜だからという思考の例外ルールをたくさん作り、その思考を繰り返すことで、たくさんの思考の視界の影ができます。その影は見ることができません。

この状態は、「気づけない」状態です。好き好む好まざるを関係なしに、自分で自分を環境から洗脳された状態になります。こうなると、何が正しくて、何が間違っているのか、何がよくて何が悪いのかというのがわからなくなります。食品の偽装問題とか、悪いなんて誰でもわかることです。でも理由をつけ、言い訳をいい、それに状況判断できない状態に追い詰め、思考の放棄をさせ、みんながやっているからという強制力や、所属感情などを利用し、その「洗脳状態」をうけいれてしまいます。

でも、そうがんばってやったところで待っているのは、ただの破滅なんです。一人の通報で全部が崩れ、下手したらその会社ごとぶっ壊してしまいます。それは、誰かがとめなかったからなのでしょうか?誰も悪いと思わなかったのでしょうか?生活が掛かっているからでしょうか?なぜですか?ばれたらどんなことになるかというのは、よくしっているはずです。それでもやめないし、止まらない。

それは、組織の思考の盲点に入ってしまうから。盲点とか思考の影というものは、恐ろしいものです。誰でも真正面から包丁をもった、いかにもな人間が目を血走らせながらこっちに走ってきたら、逃げ出します。でも、それが音も無く後ろから近づいてきたらどうなるでしょう。盲点というのは見えないからこそ、致命傷となりえるのです。見えていたら、それは傷レベルで住むかもしれないし、もしかしたら事前によけることができるかもしれない。それと同じものが思考にもできるということです。

気づいている

さて、自分のことに戻りましょう。人間関係が改善された自分は、次は仕事をどうにかして、いやすばらしく完璧に期日までにしあげた!!!ということです。わかりますか?できないと考えていると、できる場合のことを考えないものです。プログラム速度が、気がつくだけで3倍上がったり、今まですごい苦労して考えていたものが、何の苦労もせずにできるようになるわけがないと思いませんか?今自分の一番得意な分野において、明日までに成果を3倍だして、さらに疲れも無いような形で動いてくれと言われたら、バカな人間だなと思うと思います。何を何もわかってないのに、これはこれだけ難しくて、どうがんばってもこれだけ時間を使ってこれだけ苦労しないとできないんだ!それを短時間に終わらせろというのは、あほかと馬鹿かと、そんな風に思うはずです。

さて私はできるという確信を持ちました。だってそれはもう、終わっているんですから。終わったことに対して、できないとか言っても意味がわからないですよね。無理とか矛盾は承知の上です。なぜならば、その無理とか矛盾とかを起こすために、終わるという核心を抱いたのですから。できると信じた時点で、ああよくわからないぐらいよくわからない出来事で、んんだかよくわからないけどついていて、そして終わった!!!という思考になったのです。そうすると自然に昔の記憶から矛盾を埋め合わせるものが検索されます。

思い出したのは、論理的な思考を介さずに、プログラムをすると言う方法でした。

プログラミングのスピードを上げる方法
http://d.hatena.ne.jp/teruyastar/20080308/1204977907

そしてこれを思い出して、俺は論理的な思考を介さずにプログラムをすることができた!と思うことで、あっけなくできました。プログラム速度は3倍以上に上がり、言語思考はめもりーが空くのでむしろ別のこと考えながら、さらりと苦労することなく進みました。今までの苦労は本当になんだったんだろうと、本当に思いました。でも、これは元から自分が持っていた情報です。自分が、知っていて活用できると思わなかった情報です。でも使えた!と思うことで使えました。これは全部、盲点をはずして「気づいた」ことが発端なのです。

できないと思考をした時点で、あきらめているのです。すでにできた!と思考することで、すでにできているのです。この矛盾を結果に埋め込んで、視点をずらすことで盲点をはずして
解決法に気がつくのです。あらゆる思考には盲点があります。学習の世界のルールというのは、常に天才によって盲点をはずすという歴史でした。気づいてしまった法則というものは、たいていシンプルで、何でこんなことに気がつかなかったんだという風になります。わかりますか、すでに「持っていた」ということに気がつくだけでいいんです。

気づいていた

気づきというのは、認識工学の分野です。人はあらゆる情報を感覚器官から入れながらそれを、フィルターで認識オブジェクトにしてから思考に渡します。そこまでコンパクトにしないと、メモリーがいっぱいになって、まともな思考なんてできないからです。私たちは、見ていません。一度見たものを、想起によって再生しているだけです。だから、思い込みは消えません。一度、そうだと思ったものは、殆どずっとそうだと思い続けるのです。人間関係だって、第一印象で殆どが決まって後の行動では殆ど何もできないという心理学の実験があります。私たちは見ていないんです。膨大な情報を、知っているという風処理して捨ててしまうのです。

気づきという能力は、その情報を再度検討します。何か今までと違うんではないか、何か新しいことがあるんじゃないか、なにか学べることはないか、何か思い込みは無いかとひたすらに脳内に検索をかけます。そして、思い出して、できたことを知るんです。

時系列の因果というのは、明白なようでまったく明白ではないのです。それは、人間の記憶システムがそのようにできているからです。人間の物語記憶というのは、想起された感情の大きさによってその物語が重要であるかどうかを判断します。何も思わないものには、何も学習できません。でも、そこで「結果」を挿入したらどうなるでしょうか?できた!感動した!気づいた!運がいい!幸せだ!という結果をあらかじめ記憶に書き込んでしまうと、それはそのような因果を作り出すことになるのです。だって、記憶に矛盾があるのはいやですから、思い込めるだけの理由を探し出すのです。

最強の能力

自分が変わった!と思える点は、気づきが最強の力であることに気がついたことです。あらゆる、思考能力も、支配能力も、構築能力も、その元となる認識なしに行使することはできません。頭がよければ、仕事ができるわけでもないし、お金が稼げるわけでもないのです。ましてや幸せであることとはまったく関係ないのです。それは、ベースとなる根源の能力は気づきであるからです。専門馬鹿になって、頭が固くなってしまった人は成功できません。気づかないからです。中卒だろうと、気づける人間というのは、成功することができるのです。世界は量子サイズにおいて、カオスに働きます。それは誰も未来を正確に想像することができないのです。

だとしたら、新しい変化を、世界のルールを、新たなチャンスを先に読みとった人がうまくいくと思いませんか?そう、気がつきませんか?

参考文献

変な人の書いた成功法則

変な人の書いた成功法則