強靭な精神とはどのような形か?

虚世界iによる拡張世界。その世界観による拡張精神。

わたしのかたち

虚世界iを進むためには、今のままの精神の形では進むことは出来ないようだ。その世界は、狂気と偏執にまみれている。ある一定以上の水圧を超えて進むためには、まるで潜水艦のような精神構造を持つ必要がある。決壊されれば即狂気の世界だ。普通に進むことが出来ない場所だ。狂気に飲まれて、気が狂うか、それとも浮上して普通になるかという選択が現れる。

今まではここまで深く入ると、それ以上進むことが出来なかった。それは、推進力の欠如と、圧力に耐えられるだけの精神構想の欠如のためだった。まず、推進力以前に、何でこんな精神の暗闇の奥まで進む必要があるだろうか?いや、まったく存在しない。あるとしたら、それはただの度を越えた好奇心しかない。つまり興味のみだ。そこまでいっても得られるのは、「カオス」に近いよくわからないものだ。自分はそれが楽しいからいいんだけど。

私という多重存在

「私」というものはなぜ他人を求めるのか?それは自己のバックアップのためという話を前回行った。そう、これは自己の存在のバックアップを行っているのだ。自分を忘れないように、みんなにバックアップを取ってもらうのだ。一番わかりやすい例は、恋人という関係だろう。彼らは対となってお互いにお互いを担保する。人間関係の役割というのは、存在の担保だ。人間というのは、自分自身で自分の価値を見つけるのが難しい。それは、自分が所有しているものが、評価点となるからだ。比較によってしか、自分の位置を定めることが出来ない。

そう、そのため、一人で強くなることは出来ない。それは自分を忘れてしまうからだ。あらゆる価値もそれは、人間関係が存在してから、価値を持つようになる。だから、全部を持っていたって、それに関係性が無ければ何も持っていないのと同じだ。人は、自己存在を担保できる存在が、「欲しい」のだ。

さて、ここで虚意識を引っ張ってくる。まるで三権分立のごとく、自己に3つの特異点を作る。一つは行動する私、意識のことだ。

もうひとつは、その私の存在意義を示す私。この位置には通常、「恋人」とか「家族」とか「信念」がいる。その代わりに意識外、私内組織としてそれを構築する。これをさらに体系的におこなったものが、宗教である。神という存在を使って、自己の存在の担保を行う。信じるということは、自己の存在を信じるということだ。これが浅くなったりすると、生きている感覚とか意味とかがよくわからなくなってくる。非常に大切な要素だ。

もうひとつは、指し示すものだ。これは成長具合を観測したりとか、変な方向に進んでいないかを監査する。まぁ父親みたいなものだろうか。

この3つをもって、多重に観測をおこなう。これは別に違う観測点からそれを行えば可能なのだろう。ただ、脳外であれば、コミュニケーションのコストが必要になる。まぁこんなこと書いていると、一人で生きるという風に勘違いされそうだけど、そうではない。私は人格部分に蓄積することが難しいので、極端なこのような方法を使わないと安定回路を組むことが出来ないのだ。もちろん、臨界圧力を超えるための組織をだ。

意識以外に3つの機関を立てればいいのかもしれないけど、まだ最適化が行われていないので、もう少し待ってもらえればもっと最適化された形で、表現できるだろう。

多重世界

複素世界(実世界R+虚世界i)について考え中なのだが、どうも時間の取り扱いが微妙だと思う。時間が相対的であるからだ。たとえば夢世界では1時間ほどで1ヶ月の体感時間を過ごせたりする。それは今までは、うその体感時間というように処理するしかなかったが、虚世界を使うことでそれは時間線が現実時間軸を離れたのだと解釈できる。問題は、虚世界での時間の進み方だ。

まず単純に虚世界という風に定義してしまっているが、現実Rが自己観測のRであるのにたいして、虚世界にはいかなる世界も含まれる。他の人が観測した現実世界R'も、私から見れば虚世界iのひとつである。現実世界R群は、ただ、時系列が一致しているだけで、別の世界である。ただ、同期している世界と言ってもいい。虚世界にかんしては、同期はほとんど起きない。起きるとしたら、それは小説の発売日にみんな買って読むとか、テレビをみるとか映画をみるとかだろう。正確にはもちろん、同期していないのだが、他のまったく同期しない虚世界に比べれば同期しているといえるだろう。

さて、何を言いたいのか忘れてしまったが、時間軸が1本でないというのは相対性理論によって、言われていることではあるが、何せ光速の九十数パーセントまでいかないと、それが実感できないのだから、あまり日常には関係ないように思う。しかしながら、虚世界と実世界が同期していないために、それは簡単に起こる。たとえば小説を読めば数週間が数時間で進むし、映画でも同じだ。そう、間違いは現実世界Rが唯一の正しい世界だと解釈してしまった点にある。

我々が脳という牢獄から逃れられないように、認識-記憶というフォーマットからも逃れられない。私たちの世界は、脳内に存在する。ならば、この世界は、現実世界R≠物理世界Pということになる。ここが、科学の陥った罠だ。物理世界Pを現実世界Rと勘違いしてしまったのだ。現実世界Rですら、すでに虚世界iの一部なのだ。我々は、逃げることが出来ない。

これはものすごく簡単な話だ。ただ、地球が平らなのではなくて、地球が丸いと気づいただけだ。そう、ここは物理世界Pではない。現実世界Rだ。そしてあなたは現実世界R'に住んでいる。血液型占いとか、都市伝説とか、そういうものは全部虚世界iが飲み込んでくれる。それは物語なのだから。人は自分の信じたい物語を信じる。そう、これは物語だ。