持つ時代から、なる時代へ

そういうことか

エントリー所有することへのトラックバックより

所有「物」に価値がなくなったのではなく「所有」に価値がなくなった

所有物は他人に移る。移ると同時に自分の「have」に対して認められていた価値も他人に移る。それは自分の価値ではなく所有物の価値である。「物」には厳然として価値はある。価値がなくなったのは「所有」である。

「have」に変わる価値は何か?

もちろん「be」だと考える。「自分が『何』であるか」そのものが価値として問われる時代が、ようやく始まったのではないかと。(確かそんなことを書いた本もあったと思う。タイトル失念)

「be」の時代が始まったとする根拠は?

「have」ではなく「be」の時代が始まったのだと仮定すれば、最近始まった、既存の価値観では到底理解不可能な数々の出来事(オープンソース活動とか、情報の隠蔽でなく公開&共有とか、実際に会ったこともない人を信頼する力とか、blogで情報を発信し続ける意味とか)も、すんなり理解できるのではないかと思う。これが根拠だ。

青春スイーツ-所有の喜びが失われた後には何が来るか?

なるほど、そういうことか。

インターネットによって、情報の高度な共有がなされれば、知識レベルでの所有というものが一見なくなるかのように見える。色々な経験、感情、情報がやり取りされるようになる。だからこそ、所有の属性は、価値が小さくなる。モノは豊富にあれば、みんな持っていれば所有欲を満たすどころか、所有した気持ちにもならない。

「強者の理論、弱者の理論」は弱者しか使わない

弱者を弱者にしている、唯一にして決定的な要因は、「強者を理解していない」ということ

それは強者の考えだといわれたことがある。あなたは強いから、出来るけど、私は弱いからできないんですと。自分は才能が無いとか、強くないとか、資本が無いとか、知識が、技術がないとか。もう何でも理由にしてくる。できるのならやりたいけど、弱いから、持っていないから出来ないんですとくる。

このような考えの一番の違和感があるのは、自分を弱者として固定してみているということだ。自分にはまさにそのことが、自分を弱者に固定しているようにしか見えない。前提条件で「自分=弱者」と定義しているようにしか見えない。差別するなと言いながら、一番自分を差別し、見下しているのは自分だということに気がついていない。

今の状態、現状を作っているのは、過去の自分だ。過去の自分を動かしたのは、過去の自分の考えだ。自分をどういう風にしたいかという、考えだ。その考えがあったからこそ、今の自分がある。今の自分は、昔の自分が創ったものだ。だから、未来の自分を今の自分が創ればいいと思う。成りたい自分になればいいと思う。

そういわれても出来ないということはある。誰だって苦手なことはあるし、苦手分野で戦っても仕方ないと思う。また、一番変えるときに抵抗となるのがコンプレックスだ。さらに、大きいとトラウマとなり意識に上がってこなくなったりするが。それが、邪魔しているのは認めよう。じゃあ、コンプレックスなくせばいいんじゃないかと思ってしまう。

自分の一番痛い場所に触れるのは、誰だって怖い。強いということは、自分の弱さを直視できることだ。弱いままで、ただ権利を叫べば、貰えるんだったら、人は成長しない。「アイツラが悪い」とそれで思考停止。自分を直視したくないから、自分のコンプレックスの投影先に悪意を向ける。

例えば親とか。肉親はどうしても似ている。だから、自己嫌悪を投影しやすい。悪意というのは、ほとんどの場合、自分に対する問題を隠すために行う。自分が、嫌いだということを自分に隠すために、人は無意識に悪意を他人に向ける。

そうすれば、「コンプレックス」は安泰だ。他人をいくら責めたって、コンプレックスはなくならないから。コンプレックスも自己保存力を持っていると思う。そして、それは本当に気がつかないくらいこっそりと無意識で行われる。

自分の成長を最も阻むものは、自分だ。

持つから、成るへ

持つ時代から、成る時代へ進むのだろう。みんな持っているから、判断基準が人格とか理念とかになる。嘘をつけない時代になる。嘘はいつまでもネットの上に残る。今の状態だったらまだいいが、これからはますます記憶をネット上に保存するようになるだろう。そうしたら、嘘はつけなくなる。今以上に浄化能力が働くようになるだろう。

そうなると、モノを持つというのは弱い。モノは失う。だからこそ、失わないものを貯めるという戦略に変わるだろう。人格、人間性それこそが、これからは今以上に重要になる。

なりたい自分になっておくことだ。なりたい自分になれる自分になっておくことだ。「弱者」なんていう、都合のいい言葉で自分をごまかさないことだ。その言葉を行使すればするほど、あなたは弱くなる。他人の好意に、甘えないことだ。他人の好意は、あなた側の力ではない。

抗議ではなく、感謝をすることだ。権利を叫ぶのでなく、義務をこなすことだ。悪意を向けるのではなく、好意を向けることだ。
そういうことの単純な積み上げが、人間関係での信頼を獲得する。信頼を得るために、このような行動をするのではない。信頼を得るのは結果だ。自分のしたことの結果の評価だ。あなたが信頼できる人物でいるかという、判断だ。