段取り力

たまたま、本屋で見かけた本。社長に「お前は段取りがうまくない」と前から言われていたので、段取りって何だろうと思い買ってみた。

段取り力―「うまくいく人」はここがちがう (ちくま文庫)

段取り力―「うまくいく人」はここがちがう (ちくま文庫)

結果としては、かなり当たりだった。自分の足りない部分*1が浮き彫りになった。
普通に書評をしても面白くないので、自分の言葉にして噛み砕いて*2書いてみる。

段取りとは

「段取り」とは、「私」が「実行」するという形を、「私」が「段取り」して、「段取り」が私の代わりに「実行」するというものであるという事。
「私が実行」形式だと、実行に失敗した場合は、「私が悪い」というようにすべての、責任が私にかかる。それは自尊心を安易に傷つける事になり、自己否定にも繋がり、成長するためにはあまりよろしくない。
「段取り」形式の利点は、私が改良するのは「段取り」であるという事だ。実行が失敗した場合、段取りがまずかったのだ。次回は段取りを変えればいい。責任が自分まで届かずに、段取りで止まる。これは言わば自尊心を守るファイヤーウォールみたいな役割をする。CGIで言えばCGIラッパー*3みたいなものだ。かつ、改良時にも、自己の浅い層のみの改変ですむ為に、コストが劇的に減る。これは、使うしかない!!!

自分が抜けていたものは、段取りというステップそのものだった。正直、どうかと思うのだが事実だったのだから仕方ない。これからは、今までよりまともになるように頑張ろう。そんな訳で、本にはかなり細かい具体例がたくさんあり、それを試行錯誤しながら試してみたいと思う。

読んでみてから、ちょっと生活が変わった。証拠に今の時間にブログが書ける!!*4今までは、金曜徹夜、土曜夕方起きだったのですよ。起きてもすでに夕方なので、グダグダして一日が終わっていた訳です。時間が無いとうそぶきながら*5。そんな訳で時間が無いと言う方にはかなりお勧めな本。これを読んで著者の他の本を読んでみようかと思いました。

拡張段取り論

さて、本についての話はひとまず置いておいて、実行権限を委譲して、代わりに他のものがやるという仕組みは、よく考えてみると思考では出来ているのだ。思考力、創造力などに権限を委譲して、思考を実行している。思考が失敗したとしても、自分自身を傷つけることなく、思考力の改善という事で、話は終わる。それが無いと、自分は思考がうまく出来ないなどと言って、自分を傷つけたりするのではないだろうか?

得意なことを行うときは常に権限委譲を行い、実行主は主体である自分では無くなっている。逆にうまくいかないことは、すべて実行主が主体の自分であり、自分自身に責任が行く事がわかる。

得意であるということは、つまりそういうことなのでは無いだろうか。主体から力による権限委譲がすでに済んでいる事が、「得意」であり、それが形成されていない事が「不得意」である。そう考えるとすべてが納得が行く。ずっと前の「楽しいから天才と秀才の違い」の時に書いた得意よりも具体的な形で、得意というものが把握できていると思う。

得意に成る

段階「不得意」:主体から力による権限委譲が起きていない状態
   主体→実行
特徴:傷つきやすい、飽きやすい、面白さが解らない、やる気が無い、成長するのは苦しい


段階「得意」:主体から力による権限委譲が正のサイクルで形成された状態
   主体→権限委譲された力→実行
特徴:傷つかない、飽きない、面白い、やる気が有る、成長は楽しい

不得意であるということは、上のようにまともに続ける事が困難である。それを無理やり続けても、おそらくうまくいかないだろう。回転すればするほど、疑心暗鬼に溢れ、ちょっとしたことでも落ち込むようになる。そのためにますますうまくいかなくなりと明らかに負のサイクルに落ちてしまう。

一方、得意であるということは、何をやっても経験になり、学ぶ事が出来る。成長は簡単で楽しく、不得意なときとは比べるまでも無く正のサイクルに乗っている。これは容易に落ちたりしないサイクルである。ここまで来てしまえば話は簡単だ。

不得意から、得意になるというのは、どのような事があればいいのだろう?これが解れば、何でも有る程度の達人になれるようになるのだろうか?苦手な事で、少しづつ実践で試してみたいと思う。

*1:かなり基本的な部分

*2:逆も有るが

*3:実行者がApcheではなく、ラッパーになるためより安全

*4:駄目駄目だな

*5:有るわけでは無いけどさ