信念が先か、真実が先か

あけましておめでとうございます。あ、ここで年賀状作っておけば、出し忘れたのも問題ないような気が唐突にしてきた。

あけましておめでとう!!ございます。
今年もよろしくお願いいたします。

今年いのししかえる年ですね。*1

かえる十二支の方たち(過去2年)
(よく飛びます。みょんと)
  v     
       。。          。。          。。
c(u u)っ c(u u)っ c(u u)っ{今年もゲコゲコだぜ!!!!!!)
 鳥役   犬役   猪役
       へ
     (去年はよく鳴いたゲロ) 

*2

ふー。うまく出来た。よかったよかった。
AAむずかしいですね。昔携帯で使ってたのが役に立ってよかった。
微妙に色は付かないですね。

ライフメーカーの掟

また、SFを読みました。

あれ、絵が出ない。まぁいいや。ホーガンはいいですね。心が癒される。

百万年の昔、故障を起こした異星の自動工場宇宙船が土星の衛星タイタンに着陸し、自動工場を建設し始めた。だが、衛星の資源を使って作った製品を母星に送り出すはずのロボットたちは、故障のため独自の進化の道をたどり始めたのだ。いまタイタンを訪れた地球人を見て、彼ら機械生物は……? ホーガンSFの真髄がここに!
アマゾンの商品の説明

ホーガンは、星を継ぐもの (創元SF文庫)しか読んだ事が無かったんですが、続いてたんですね。それっぽいなとは思ったんですが・・・。
この本はそのシリーズとは独立しているので、誰でも読めると思います。ちょっと分厚いですが、日本語訳のSFにしてはかなり読みやすい部類だと思います。是非、一読をお勧めします。星を継ぐものの方が入りやすいと思いますが。

ということで、読んでのあらすじ、感想を飛ばして、いきなり考察から入ろうと思います。

信念が先か、真実が先か

私たちは、物事をそのまま認識する事が出来ない。ある種の薬を使わない限り、すべて無意識の意味変換を通さないと、世界を見る事が出来ない。私たちに世界の法則は曲げる事は出来ない。でも、認識を変えることで認識された世界は変えることが出来る。

私は、ある種の信念とぶち当たった事が有る。それは、自分の中の思うところとは、違うのだ。その人はそれを真実と見るが、私にはそれが真実とは思えないのだ。がちがちに縛った信念に、「真実」で有ることは少ない。真実は自由であるのだと直感するからだ。私が、親しい人と話すときに、そういう種類のものと当たる事が有る。要するに、意見が食い違うということだ。

正しいとは?

自分は、相手の立場に乗れば相手がそのような考えを持ちたくなるのを理解できる。そして、自分もまた、信じたいものを信じていると理解する。しかし、私が正しいのか、それとも彼が正しいのかを理解をもって解決する事は難しい。私は私が間違ったものを信じていると理解すれば、それを捨てる事が出来る。私はそれが自由だと思うからだ。それが正しさだと思うからだ。そして、お互いに話し合う余裕の有る人は、同じようにする。

しかし、私の言っている事を理解せずに、自分の意見のみを押し付ける人もいた。例えば、左翼の活動的な人は、マルクスの本を部屋に積み上げ、赤旗をソースに私と話し合いをする。今の政権、政治、大学、警察当局、労働社会、すべてだ。なるほど、彼の言っているように今の政権、資本主義にも欠点は有るだろう。でも、貴方が享受している、平和や食べ物、住む家や学習の機会には感謝も言わず、平等を叫んでお金を自分たちに引き出し、労働の義務を負わず、空想の労働の対価を要求しているのには、指摘をしてもなんとも言わなかった。「でも〜」「でも〜」と聞く耳を持たなかった。私は彼を思想に縛られていると感じた。私の言葉は彼に届く事は無かった。

平和を叫び、自分たちに陶酔する。私たちは常に正しく、悪いのは周り。私を認めないのは、周囲が馬鹿で不誠実だから。今が悪い事は主張しても、それを改善する事はけして考えない。頭に有るのはもう古い「革命」。自分を認めてくれないマジョリティーを丸ごとマイノリティーにしてしまう手段だ。彼らは、これから先もけして認められる事が無い。なぜなら、手段と目的が違うからだ。他人(社会)に認めて欲しいというのを目的とした、革命は手段でしかないからだ。目的と手段が違うものは、進めば進むほど違和感を感じ、剥離が進む。

しかし、うまくいかない理由がなんなのか彼らに理解する事は出来ない。それは、自ら思考を縛り、望まない方向を見ないようにしているからだ。思想の統制が取れているという事は、裏返しに思想が縛られているという事だ。正しいということは、あらゆる思想を飲み込み多様な生態系を作る。一方、厳しい縛りを作れば作るほど単一の生態系が出来、それは疫病ひとつで潰えてしまう。自由であり正しいことは、多様性で判断できると思う。豊富にあるリソースをいかにカオスのエッジの上に乗せるかだ。

多様性、複雑性という価値観

多様性という意味で、インターネットは成功した。制限の多いほかのあらゆるネットワークは競争に敗れた。また、単一の思想で縛る社会主義は失敗し、一定の共通価値を認め、思想の自由を認めた資本主義は成功した。どんなソフトウェアを作る事を許したwindowsは市場を支配し、自分たちの強い制御をしようとしたIBMは敗れた。多様性が、ボーダーラインとなって、生態系がよく育つかどうかを決めていると自分の「勘」は言う。

ああ、そうか。あらゆる神様が世界に直接干渉してこない理由はこれか。制御を離れて、生態系を強く多様にするため。なるほど、納得した。自分はなぜか、ものすごい小さいころから、カオスのエッジすなわち生命の多様性、精神の価値の創造を作ろうとしていた。あらゆるものを自動化し、物事のすることの範囲を広め、生態系を築く。これが夢だった。誤解を恐れずに言うならば私は、「私の生きる世界と同じような生態系」を創造したかった。私の作りたいものは昔から何も変わっていない。優れた小説は価値の生態系を築く。優れた経営者は、多様性の有る適応能力の強い組織を作る。優れたプログラマーは、輪になった機能美と思想の美しさを表す。

私の向かう道は、すでに決まっているようだ。多様性の価値観を秤として、生態系を作りたいのだ。そう、私は心からそう思う。根源的な欲求、好奇心と知識欲が満たされるのを感じ、それを元としてさらなる多様性を築く。私は、非常に恵まれた時期に生まれ、そのチャンスに恵まれた事を感謝する。私が成長する事は、手段であり、目的は一向に変わっていない。私はそういう意味では、私欲に忠実であり、欲望にまみれていると思う。信念が世界を作ったのか、真実が世界を変えたのか。私は、両方が真実であり、捉え方によって色々な解釈が生まれる事に、楽しく思う。

私が、解釈を複数走らせ1つに絞らない理由は、その生態系の豊かさに、感動するからなのだろう。素晴らしい物語、すばらしい人、すばらしい世界は今日も多様性を豊かに実らせていると信じる。

*1:何年も前から、ずっとかえる年

*2:携帯ならうまく出来るけど微妙に難しい