アイデンティティと多様性の必要性

なぜアイデンティティを欲しくなるのか?

人は、複数人でいるときに、アイデンティティを求める。例えば、容姿だったり、性格だったり、技能だったり。他の人と違う可能空間を食べたくなる。双子は一緒にいれば、別の方向に向かうようになるが、別々に暮らすと同じ方向に進むようだ。

誰でもアイデンティティは欲しい。おそらく、かなり根源的な欲求のはずだ。認められるという欲求でもあるが、でも自我欲求とでも呼ぶべき欲求だ。

社会の構築ならば多様性はいらない

会社の歯車という言葉がある。そこでは個性を没する事で、自らを部品化し会社全体の命令どおりに動くことだ。そこには多様性はむしろいらない。求められるのは効率化。効率化と多様性は、同じリソースを使うという点で、逆の戦略であると言える。

それに対応するのが学習と創造だったりして。学習効率を高めるという事と、創造力を高めるという事は違う。もし違わなかったら、自分より創造性の高い人なんて数百万人程度はいるはずだから、もっと多様性のある世界になっているはずだ。実際にそうでないのが残念だったりするが。

要するに「頭のいい」という方向に2種類あるであろうということだ。それは効率化と多様性。学習効率がよければよいほど、トップに近づく事が出来る。でもトップになる事が出来ない。逆に創造性が高ければ、レイヤーは違っても先端に位置することが出来る。その時間的先の保証は何もないのだけれど。

学習効率がいいということと、創造性があるというのは、比例はしなくても相関関係があるというのが、従来の考えだろう。まぁ、自分もそこに異論は無いが、軸が違うだろうというのは、思う。

生き残り戦略

生き残り戦略として、効率化と多様性の2種類がある。効率化はロスをなくすることで最大の火力を得ようという戦略。多様性は、可能空間をマッピング分散させる事で、群全体の脆弱性を減らすという戦略だ。

効率化が攻撃的で、多様性が防御的な戦略であるといえる。お互いにメリットと弱点が存在して、それが戦略上逆の位置に存在する。例えば、外的環境の変化には多様性は圧倒的に強いが、そのときには効率化は脆い。逆に安定化した世界では、効率化が有利で、多様性は不利だ。今は、多様性戦略が勝てる時期であるといえる。

それは、まだ安定していないためだ。変化はまだ済んでいない。国という概念と、インターネットという概念が戦争を起こしているために戦況は日々変わる。そのため多様性戦略をとれるアメリカとかの方が、有利である。

個性と存在意義

個性が求められる時代になった。それは、効率化だけでは勝ち残る事の難しい戦況になったからだ。日本が時代に必要とされるのは、「行き着く先」を見ることが出来る観測者だ。その未来が観測できればそれは、ある程度安定した時間となるため、効率化戦略でも戦う事が出来る。変わる流れ自体を読むことで、それを予想済みのロードマップに組み込んでしまう事で、相手の優位さをいくらか減らす事が出来るためだ。

ネットサービスは世の中を変えない

ネット世界では、無料に近い対価で提供される、様々なネットサービス。 いままではノイズとして埋もれていた「ロングテール」を商売の対象として、 そこから巨大なビジネスを生んでいく…なんて宣伝されていたけれど、 今のところ成功したのは、広告モデルだけ。

たぶん、IT 企業が国家という集金装置を乗っ取れない限り、 Web 2.0 的なサービスというのはまともな商売にはなれない。

「みんな」というのは、既成事実を製造するための単なるインフラで、 既成事実が要請した「何か」をごく一部の上位層だけに販売するモデルが これからでてきて、そういう会社だけが生き残って、ネット社会を 商売の場所に変えていくのだと思う。

Web はまだ、そういう意味では世の中を何も変えていないし、 様々なネットサービスを提供している会社というのもまた、 既得権益に乗っかった企業、マスメディアとか、昔からある大企業の 「プラグイン」みたいな形でしか生き残れない。

http://medt00lz.s59.xrea.com/blog/archives/2007/08/post_525.html

過程は取りあえずおいておこう。確かに多数派が舵を取る今の国の戦略では、フィードバックは10年単位くらいで遅い。レイトマジョリティがやってきたころに、ようやくそちらに舵が向く。昔はそれでも時代の流れが遅かったために問題が無かったのだろうが、今となっては遅い。

改善するとなると、少数の脳細胞に体の細胞全部の命運を託すという戦略なのだろう。または技術によって、直接民主制に移行することも出来ないわけではないだろう。まぁ、それは移るとは思えないけれど。やるとしたら、分割された国、アメリカの州のようなものだけど、土地ではなく信念で選別されるような組織政府を分割する。どこに所属するかは、自分で選択できる。そんな感じなら、もう少し多様性のある世界になるのだけれど。

格差社会は、お金のあるなしの2種類しかない。多様性としては、あまりに貧困。もう少し多様性を含むことが出来るような社会構造にデザインしなおした方が、まともに進めそうなものだ。

まぁ、デザインしなおすよりは、新しく作ったほうが楽だったりして。それよりも、天才たちによる未来観測の方がコストが少なかったりして。というわけで、未来の見える人が非常にニーズがあるのです。勿論、供給が劇的に少ないというのもあるんだけれど。

昔は、漫画とかアニメとかがその役割を持っていたのだと思うのだけれど、今となっては、そこまでのポテンシャルのあるものは無いし、方向が変わってしまったように思える。環境問題やら有限資源関係で未来に希望が少なくなったのもその理由なのだろうけど。科学も理想より全然進まなかったし。

天才をデザインする社会とかなら、面白そうだけど。未来は不定で見るのは難しいのだけれど。果たしてどうなる事か。